会社案内
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- 会社概要・アクセス
- 会社沿革・丸元歴史写真館
社長あいさつ
平素は格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。
昭和31年に創業いたしました弊社は、顧客第一主義のもと、土木、建築の分野で幅広い工事を手がけてまいりました。皆様の温かいご支援により順調に発展し今日を迎えておりますことを、社を代表し深く御礼申し上げます。
時代のニーズを的確に捉え、企業活動を通じ社会へ貢献すること、そして安全で誠実な仕事を成し遂げることが創業以来変わらぬ弊社の理念であり、
そのために技術の向上、技術者の育成に力を入れております。
また、令和3年10月6日に創業65周年を迎えることができますことを重ねて感謝申し上げますと共に、新体制にて決意も新たに、
皆様から信頼される会社でありますよう、なお一層努めてまいります。
今後とも引き続きご指導ご鞭撻を賜りますよう、
心からお願い申し上げます。
株式会社丸元建設 代表取締役社長
糸数幸恵
経営理念
社会への貢献を常に忘れず、
施主の要望を的確にとらえ、
施主の立場に立って仕事を行い、
社員の生活向上に努力を
はらいます。
施主の要望を的確にとらえ、
施主の立場に立って仕事を行い、
社員の生活向上に努力を
はらいます。
会社概要
商号 (英語表記) |
株式会社 丸元建設 (Marugen Construction Co., Ltd.) |
---|---|
所在地 | 沖縄県那覇市壷川2丁目13番26号 |
連絡先 |
電話:098-853-3261(代表) FAX:098-853-3267 |
創立 |
1956年10月6日 (昭和31年) |
資本金 | 100,000,000円 |
特定建設業許可 | 沖縄県知事許可(特定)第510号 |
主要取引銀行等 |
沖縄振興開発金融公庫 沖縄銀行 古波蔵支店 琉球銀行 古波蔵支店 海邦銀行 壷川支店 |
営業種目 | 土木工事業、建築工事業、大工工事業、左官工事業、とび・土工工事業、石工事業、屋根工事業、タイル・れんが・ブロック工事業、鋼構造物工事業、鉄筋工事業、舗装工事業、しゅんせつ工事業、板金工事業、ガラス工事業、塗装工事業、防水工事業、内装仕上工事業、建具工事業、水道施設工事業 |
役員 |
代表取締役会長 糸数 憲一郎 代表取締役社長 糸数 幸恵 常務取締役 仲宗根 吉克 |
職員 | 26名 |
アクセスマップ
〒900-0025
沖縄県 那覇市 壷川 2丁目 13番 26号
丸元ビル(2F:営業部/総務部、3F:建築部/土木部)
※2011年11月14日より住所表記が一部変更しております。ご注意ください。
沖縄県 那覇市 壷川 2丁目 13番 26号
丸元ビル(2F:営業部/総務部、3F:建築部/土木部)
※2011年11月14日より住所表記が一部変更しております。ご注意ください。
建設業を通して
社会へ貢献する。
創業時の熱い想いを忘れず
これまでも、これからも。
社会へ貢献する。
創業時の熱い想いを忘れず
これまでも、これからも。
太平洋戦争が終結してから11年目、焦土と化した沖縄にもようやく復興の槌音が高く響き始めた1956年(昭和31年)10月6日、那覇市与儀362番地において丸元建設は創立されました。
当時、終戦後の米国民政府の統治下という厳しい社会環境のもとにあって、戦争で破壊された住宅問題の解決はもとより、道路、河川、ダム、港湾、下水道といった社会基盤、産業基盤の整備が急務でした。創業者である糸数元精は、これまでに得た経験と知識を基に建設業を通して社会に貢献しなければならないという信念のもと丸元建設を興し、以来、丸元建設は郷土の復興のために様々な土木建築工事を手がけてきました。
戦後の復興期、そして沖縄が経済的に発展していく1960年代から70年代にかけては公営住宅や海岸護岸工事などの大型案件にも数多く携わりました。
当時、終戦後の米国民政府の統治下という厳しい社会環境のもとにあって、戦争で破壊された住宅問題の解決はもとより、道路、河川、ダム、港湾、下水道といった社会基盤、産業基盤の整備が急務でした。創業者である糸数元精は、これまでに得た経験と知識を基に建設業を通して社会に貢献しなければならないという信念のもと丸元建設を興し、以来、丸元建設は郷土の復興のために様々な土木建築工事を手がけてきました。
戦後の復興期、そして沖縄が経済的に発展していく1960年代から70年代にかけては公営住宅や海岸護岸工事などの大型案件にも数多く携わりました。
また、1973年には関連会社として那覇市上間に「エコーグランドボウル」を開業。(1990年閉業)
ボウリング場の他、中華料理店やホテルも併設し、那覇周辺の人々の娯楽や憩いの場として多くのお客様でにぎわい、地域を活気づかせました。
1989年(平成元年)に受注した「金城ダム建設工事」(JV)は丸元建設が携わった工事としては特に大きなものでした。工事全体としては実に12年もの年月をかけ完成した金城ダムは洪水から人々を守る重要な役割を担っています。
2020年(令和2年)3月に供用開始を迎えた那覇空港第2滑走路の築造工事は総事業費2074億円という大事業で、2014年から工事が進められてきました。沖縄の空の玄関口として、またアジアの物流拠点として、今後も大いに活用されるであろう本事業の一端を担うことができたことは丸元建設のみならず、多くの建設関係者の自信と誇りになることでしょう。
ボウリング場の他、中華料理店やホテルも併設し、那覇周辺の人々の娯楽や憩いの場として多くのお客様でにぎわい、地域を活気づかせました。
1989年(平成元年)に受注した「金城ダム建設工事」(JV)は丸元建設が携わった工事としては特に大きなものでした。工事全体としては実に12年もの年月をかけ完成した金城ダムは洪水から人々を守る重要な役割を担っています。
2020年(令和2年)3月に供用開始を迎えた那覇空港第2滑走路の築造工事は総事業費2074億円という大事業で、2014年から工事が進められてきました。沖縄の空の玄関口として、またアジアの物流拠点として、今後も大いに活用されるであろう本事業の一端を担うことができたことは丸元建設のみならず、多くの建設関係者の自信と誇りになることでしょう。
創業から60年以上が経ち、時代は昭和、平成、そして令和へと変わりましたが、戦後の復興から始まり、社会インフラおよび産業基盤の整備、自然災害への備えや復旧等、建設業を通して郷土沖縄の発展に微力ながら貢献できたことは私たちの大きな誇りです。
丸元建設はこれからも社会への貢献を常に忘れず、施主様の要望を的確にとらえ、施主様の立場に立って仕事を行うという企業理念のもと安全で誠実な施工を心がけていく一方、日進月歩の技術の向上に応えられるよう研鑽に努め、時代のニーズに柔軟に対応できる建設業をめざして歩み続けます。
丸元建設はこれからも社会への貢献を常に忘れず、施主様の要望を的確にとらえ、施主様の立場に立って仕事を行うという企業理念のもと安全で誠実な施工を心がけていく一方、日進月歩の技術の向上に応えられるよう研鑽に努め、時代のニーズに柔軟に対応できる建設業をめざして歩み続けます。
会社沿革
1956.10.6(昭和31年) | 建設会社丸元建設として発足。 |
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1964.04.03(昭和39年) | 合資会社丸元建設として組織変更。 |
1970.05.14(昭和45年) | 株式会社丸元建設として組織変更。現在にいたる。 |